偏差値30台(3年生)
→学校の補習のためご入塾(3年生6月)
→5年生2月より本格的に中学受験準備を開始し、偏差値55の学校にご進学

息子は、3年生の6月からメイプスに入会しました。サッカーに明け暮れていて、普段も学校の宿題を最低限こなす、そんな生活でした。
当時、両親ともに受験は考えておらず、たまたま友人に誘われて受けた模試の結果が見たこともないような偏差値で、さすがにこのままではまずい、勉強の習慣を身につけなければとメイプスの門を叩きました。
事前の面談で、公立中学の部活が機能してない話を先生から聞き、もしかしたら受験することになるかもしれないなと頭をよぎった程度です。

転機が訪れたのは、4年生の2月でした。
コロナで休校になり、サッカーの活動も休止。息子のモチベーションも下がり、学校の対応にも不安を覚え、少しずつ受験を意識するようになりました。

ようやく集団塾に通い始めたのは、新小5の2月。
算数と国語をメイプス、理科と社会を集団塾にお願いすることにしました。

メイプスでは、基本の大切さ、本質の理解、勉強に対する態度や姿勢を徹底的に教えてもらいました。
日常生活の過ごし方も同様です。

一番苦労したのは国語です。
全科目の基本となるので最も大切だと言われながらも、息子はそもそも読書をあまりせず、漢字、語彙に興味がなく、結果として、文章を読むことが苦手になり、自宅での予習、復習も本人のモチベーションが上がらず一番苦労しました。
試行錯誤しながら作った言葉ノート(分からない語彙をまとめたもの)は3冊目に突入していました。

それでも、少しづつ記述問題が書けるようになりはじめた6年生の9月頃、やっと息子が自発的に作ったノート、名付けて「僕のやる気ノート」は先生が書き込んでくださった赤字をまとめて、本番試験には必ずバッグに入れるお守りノートになりました。
やる気は出ないけど、やる気を出したい、という息子らしいタイトルがいじらしく、最後まで支えようと誓いました。

一方で、算数は好きでした。
ただ、基本問題の演習に徹底的に取り組んだあとは、一時的に成績はあがるものの、最後まで安定はせずに乱高下を繰り返しました。

ちなみに、10月頃から過去問に取り組みましたが、受験校のうち、四科合計で合格者最低点を超えたことはほとんどありません。

そんな状況のなか、1月の受験で思いがけず合格を貰ったので、息子とも相談し、それ以降は受かったら必ず行きたいと思える学校だけを受験することにしました。

決して楽観的だった訳ではなく、メイプスでは意識の低さ、気合いのなさを指摘され続けていました。
家庭でも作戦を考え工夫しました。しかし、最終的に息子の意識が改善されたかどうかというと、今回の中学受験のタイミングでは難しかったです。

この決断が、2月1日から始まり、5日で終わるわずか120時間の東京入試をあたかも1000時間の時が過ぎるような、両親ともに10歳くらい歳を取った気持ちにさせることになります。

なかなか合格を貰えず、メイプスで解き直し&次の日の対策準備を、毎日3時間以上×4日間、先生方が指導してくださいました。相変わらず、意識、気合いを指摘され続けながらも、最後まで諦めずに寄り添って頂けたので、本人の自信がついていく様子を日に日に感じました。そして、第一志望校の3回目の試験の前日に頂いた励ましのメールは、愛とエールが沢山詰まったメッセージで、気持ちを奮い立たせることが出来ました。

結果として、4日間、全て不合格、最後の最後5日目の20時に第二志望の合格を頂くことができました。報われた、という思いと、最後に桜の画面を見せてあげられた、という安心感と、何よりも息子の満足そうな表情をみて、一気に家族が幸せな雰囲気に包まれました。

受験後も毎日メイプスのブログを見ています。反省ばかりです。
勉強に対する姿勢、もう少し広く捉えれば、社会に対する興味を息子に持たせるには、まだまだ親からの仕掛けが必要だと感じます。
ただ、もう中学生になるので、自ら気付き自ら学ぼうとする姿勢を見せてほしい、これに尽きます。
今後の中高6年間、まだ入学式も終わっていませんが、親としてできる最善のことは何なのか、と思い巡らせる日々です。

まだまだ続く子育て、今後も躓き悩み苦しむことが必ずあると思います。でも我が子と一緒に学んだ日々、そしてメイプスの先生の教えの真髄を胸に、最後の最後には笑えるようにこれからも頑張っていこうと思います。

厳しさの裏には愛しかないゴッドマザー先生、どこまでも頼りになる大将先生。
悩んだ時には寄り添い、導いてくれた先生達なしでは乗り越えることはできなかった中学受験でした。

息子はメイプスを卒業しますが、母はしばらくブログを読みながら在籍するつもりです(笑)